| 第50回 04/05/07・21合併号 |
祝・連載50回! 今回は担当編集 ウメちゃんとの対立の歴史を暴露 |
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おおなんと今回でこの連載も第50回! 思い起こせば、2002年のE3直前からスタートしたのだから、ぴったし丸2年。本当に色々な事がありました。私が原稿を落とした事もあったし、榎本さんが画稿を落とした事もあった(それも私の所為で…)。編集ウメちゃんからNGを喰らってムカツキながら書き直した事も、私の知らない間に表現を勝手に直されていた事も、今となっては良い思い出――じゃないよ、ウメちゃん! 特に明記はされていないが、署名原稿の©は筆者に帰属するのが当然だ(でなければ、本職の私がゲームのアイデアなんて書けない)。なので、筆者=著作者の意向を無視した修正は「改竄」だと云える。しかし一方で、パブリッシャー(出版社)は原稿の依頼主であり、雑誌にも雑誌の方針がある。編集の意向に馴染まぬ原稿に対して修正を要求したり、最悪の場合、掲載を拒否するのもまた至極当然。共に雑誌を創り出すパートナーといえども、立場の違いから対立する場合だってあるのだ――。 ――というのは、実は単なる前フリ(ウメちゃん驚いた?)。同様な対立が、実はゲーム業界にも存在するのだ。 欧米のゲーム業界では、最近、デベロッパー(制作会社)とパブリッシャー(販売会社)との対立が、深刻な問題として話題になっている。それを顕在化させたのが、私も長年一緒に仕事をしている、ノーティドッグ社長、ジェイソン・ルビン(クラッシュ・バンディクーの産みの親)。彼は今年のD.I.C.E.サミット(米国のゲームクリエイターが集まる学術会議系イベント)で、まさにその対立について熱く講演し、全米の開発者達のハートを鷲掴みにしたのだ。 ジェイソンの主張を一言で要約すれば「ゲーム業界では、デベロッパー=ゲームを作る才能が、パブリッシャーによって軽視されている」というもの。いやこれは、彼がSCEに軽視されているという意味ではなく(本人もキッパリ否定している)、近年のゲーム業界を俯瞰して眺めると、ゲームがあたかもビールなどの「イメージ商品」のように、宣伝力やブランド力によって売れる物として扱われているのではないか、そう導いて来たのはパブリッシャーではないか、これはゲーム業界にとってまずい風潮ではないのか!?――という意味だ。 実はこれ、私が前々回以来この連載で書いてきた「完成度と売り上げの相関が崩れている」という主張とも符合する。確かに今や、売れるのは版権・続編物ばかりであり、ゲームデザインよりもビジネスデザインが重視される風潮にある。良いゲームを作る才能は無視され、上手いビジネス・スキーム(=儲けの仕組み)を考える人間がもて囃される。本来ならゲーム作りの才能によって推進される(talent driven)べき業界で、肝心の才能が軽視されていたのならば――新しい才能は集まらず、商品は陳腐化し、ユーザーは飽き――その業界に未来はないだろう。 ジェイソンの主張はこの後、開発者コミュニティの必要性と、それを模索するため、次回作を最後に社長を辞任するという爆弾発言に続くのだが―― | |
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載ってたなら、次回もこの続きで。 | |
原稿を送った後に担当編集のウメちゃんから、本文中の
「でなければ、本職の私がゲームのアイデアなんて書けない」
という表現について、意味を尋ねられた。
いやホラ、俺はこの原稿に、ゲーム企画に属する内容を書いてたりするワケじゃん。
ときメモオンラインとか、宝探しオンラインゲームとか。
あの手のアイデアって、ちゃんと企画書にまとめれば、
嘘六百での原稿料の10倍ぐらいのギャラが稼げるワケね。買い取りの場合。
なんで、それで食ってるプロとしては、
著作権が筆者に帰属するんでなければ「やってられない」のだ。
ところで先日、『Beep』の復刻版が出版されて、そこそこ売れたそうだけど、
旧ライター陣には一切ギャラは払われていない。
日本では、ライター仕事ってちゃんと契約を交わさないけど、
これって実は…どうなんだろ?
まあ、ゲーム紹介の記事に著作権を主張するつもりは全くないし、
コラム系の原稿は、著作権こそ著者に帰属すると思っているものの、
ギャラを要求するつもりは全くない。なかった。
シロウトに毛の生えたような学生ライターの、修行中の原稿なワケだし。
だが――復刊記念の飲み会が、編集ウメちゃんの仕切りで開催されたのだが、
そこでの飲み代ぐらいは、ソフトバンクで持って欲しかったよ(笑)。